瀬音ホームページの山里の記憶コーナーに「豆腐作り」をアップした。子どもの頃、豆腐作りは年の瀬の集落行事だった。正月に使う豆腐をみんなで共同の大鍋を使って作ったものだった。
寒い朝にモウモウと立ち昇る湯気やカマドの煙突から立ち昇る煙、大人たちがキビキビと動き回る光景が日常でない雰囲気で楽しかった。熱湯を扱うし、失敗できない作業だし、子どもたちには手出しができない豆腐作りの一日だった。
それでも、あの豆乳の甘い香りがする湯気に顔を突っ込んだり、バケツを運ぶのを手伝ったり、大人の気分を味わいたい思いで邪魔しない程度に手伝いを狙ったりした。豆乳がおぼろ状に固まったり、型枠から豆腐が出てきたときなど手品を見ているような不思議な気持ちになったことを思い出す。湯気と香りと熱気とが相まって忘れられない子どもの頃の光景だ。
思えば、自分の畑で作った大豆を自分ですって生呉にし、煮て、漉して、固めて、豆腐にする。恐ろしく手間のかかるスローフードだった豆腐。年に一度しか食べられないご馳走だった豆腐。大豆の味と香りがぎゅっと詰まった硬い豆腐は本当にご馳走だった。布巾を外して切ったまだ温かいかけらを口に頬張った幸せ。あの温かく濃い味と香りは作った人間にしかわからない幸せな味だった。
最近はどのスーパーでも手軽に手に入るのでそれほどありがたさは感じないが、本来の豆腐はすごいご馳走だったのだと昔の事を描いてみた。大人たちが共同で動き回って豆腐作りに夢中になる。お正月前のウキウキした気分も相まって、妙に楽しかった記憶がある。
多分ものすごく寒かったのだと思うが、立ち昇る煙や湯気や熱気の方が記憶に残っている。正月にどんな料理にしたのかは記憶になく、作った時にかけらを頬張った美味さだけが残っている。それほど強烈な美味さだった。あれは本当にご馳走だった。