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Channel: kurooの窓
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吊るし柿をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「吊るし柿」をアップした。吊るし柿は長い間、秩父山間部の晩秋の風物詩だった。最近は温暖化の影響で、干した柿がカビてしまうことが多く、めっきり姿を見なくなってしまった。アンポ柿など新しい干し柿の製造が広がっているが、秩父生まれの人間としてはあの風景が見られなくなったのは寂しい限りだ。
 

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 秋になると山里の柿の実が目立つようになる。秋の風情を感じる景色だが、高齢化が進んだ山里では柿の実を取る人もいなくなり、成っているままに任せているのが現状だ。熟した柿の実は鳥や猿、稀には熊の狙うところとなり、野菜動物の餌となっている。
 秋らしい風景を眺めながら「ああ、柿を取る人がいないのだなあ・・」などと感じるのは、自分が吊るし柿作りをしてきた世代だからこそ出るため息なのかもしれない。これも時代の流れなのだろうが寂しいことだ。
 

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 柿取りは大事な仕事だった。落とさないように竿で運ぶ技。折れやすい柿の木に登るのは子供の仕事だったこと。木に成った状態で熟した、熟柿(ずくし)の美味かったこと。山から運んだ柿の重かったこと。などなど懐かしい思い出が次から次に浮かんで来る。
 渋柿を焼酎漬けにすると渋が抜けて甘くなると言われてやったことがあった。渋は完全に抜けなくて、食べられなかった事を思い出す。多分やり方が悪かったのだろう。渋ぬきは化学だから、決まり通りにやらないと食べられないということがわかった。渋い柿を食べるとうんこが出なくなり、病気になると言われていたので渋いのは絶対食べなかった。

 

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 干し柿は十二月になると粉が吹いて白く、甘くなった。お祭りや正月のご馳走で食べたり、お土産にしたり、みんなで食べた。甘い干し柿は冬のご馳走だった。
 干し柿を買いに来る問屋さんがいたという。秩父の夜祭などで売るのが目的だったらしいが、我が家では食べる人数が多かったので干し柿を売ることはなかったと記憶している。
 保管してあるのを盗み食いした味は忘れられない。盗み食いするとなぜかバレて怒られた。なぜバレたのかわからないが、もしかしたら顔に出ていたのかもしれない。懐かしい思い出だ。

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