七年前の東日本大震災後に陸前高田で「面影画」というボランティア活動をした。その時に絵を描いた人達とまだ交流が続いていて、今回はそのうちの二人に会いに行った。
災害公営住宅に住む藤野さんはご主人を亡くされた。4月に高田に行ったときに会う予定だったのだが、運悪くすれ違って会えなかった。今回、自宅にお邪魔して七年前の話を聞いた。自宅は何もかも流された。その場所を指さして、どこにどう逃げたのかを丁寧に説明してくれた。現場を見ながら話を聞くのは初めてで、その時の様子がリアルに思い浮かぶのが怖かった。
藤野さんの話は被災直後の現実をまざまざと伝えてくれた。被災した人としなかった人との間に出来た心理的な深い溝。外部から侵入する被災地泥棒の人間と思えない所業。被災していなくても平然と援助物資をもらい集める人々。流された車からガソリンを抜き取る人々。今だから言えるけど、当時は言えなかった話の数々に圧倒された。災害は人間の素が出ることが怖いという。遺体になった人よりも生きている人が怖いという。この言葉をどう伝えたらいいのだろうか。
矢作町の鈴木さんは家屋敷を全部流され、娘さんをなくした。新しい家は土台を2メートルかさ上げして建てた。家の家具や食器・衣類などはほとんどが援助物資だという。「自分の趣味とかそんなの何だっていいわって思うようになっちゃって…」と笑う。「とにかく何もなくなったから、何でもあればいいんだってね…」
亡くなった娘さんの写真が友人から集まったきた。ただ、まだその写真を整理することが出来ない。面影画を描いた時から鈴木さんはずっとそれを言っていた。娘が亡くなった事実を受け入れることが出来ないのだと。
家の外の景色を眺めながら、あの日の話をしてくれた。目の前は気仙川だ。年老いた両親を車に乗せ、津波が来る方向に走った。逆方向はどこまでも平らで津波にやられる。津波が来る方向に少し走ったところに高台へ登る道があった。そこをひたすら目指した。怖いとか考える時間はなかった。そこの道を登るしか三人が生きる道はなかった。車が道を登るのと同時に後ろから水が押し寄せた。上で見ている人達から「ガンバレガンバレ」という声が出ていたという。
目の前の景色が水で消えて行くのを見ながら何も考えられなかった。家がプカプカ浮かんで流されて行くのを、唯々呆然と眺めているだけだった。「生きるか死ぬかは一瞬の判断なんだよね…」と淡々と言う鈴木さん。生きるために一瞬の判断を下せる人間になるためには、何をどう準備すればよいのだろうか。また、防災教育で何をどう伝えればいいのだろうか。