ホームページの山里の記憶コーナーに「三峰山ロープウェイ」をアップした。取材をして文章を書き、絵を描いてまとめるのだが、今回は書けなかった事が多かった。
矢須唯雄さん(78歳)の話は理路整然としていて、過不足なく三峰山ロープウェイの話が引き出せた。あまりに多くの情報があると、それをどう選択して書くかが問題になる。限りあるスペースにどの話を書くのが一番良いかを悩む事になる。結果、どうしても正確な情報が優先され、情緒的な部分が削られる。
自宅での話を終えて、昔の駅があった場所まで歩いた。徒歩10分くらいの距離だった。唯雄さんは40年間この近い職場に通っていた。当然、賑やかだった大輪と一気にさびれてしまった大輪を見ている。見ているというよりは現場に住んでいる。
想像するに、実感としてものすごく落ち込む状態だったのではないか。自分の職場の沈滞が地元の沈滞に重なっていた。地元だからと言ってしまえば当たり前の話だが、こういう経験をしている人は少ない。夢を持って就職し、順調に昇進し、最後は駅長にまでなった。しかし、世の中の流れは無常にも職場の廃止へと向かっている。そんな揺れ動く心象を文章にしたかったようにも思うが、当たり障りのない文章になってしまった。
こうしてふり返って見ると、思い出すのは炬燵で聞いた職場の話ではなくて、現場で聞いた話のあれこれだ。「ここに駅があってねえ…」から始まり、シャクナゲを植えたけど見に来る人がいない話。「表参道は昔はもっと急でジグザグでねえ…、そこを駕籠を担いで登ったんだよ」「あの正面の杉が途切れている直線が線路の跡だぃね、あんだけ木が伸びてちゃ引っかかっちゃうよね」「観光的にもロープウェイは残して欲しかったねえ…」
唯雄さんのおかげで三峰山ロープウェイがどんなものだったのかを知ることが出来た。その昔、一度だけ利用したことがあった。高校を卒業した年に雲取山登山に向かうときにロープウェイを利用した。朝早く一気に山頂に到達するそのスピードに驚かされたものだった。今でも充分に魅力ある観光資源だと思うし、設置されれば多くの観光客が利用するのではないだろうか。
三峰山がパワースポットとして見直されている今、もしロープウェイがあったなら大きな魅力にもなるだろうに…などとつい思ってしまう。それは唯雄さんの最後のつぶやきに重なっている。大輪は奥秩父観光の光と影を背負っている。