ホームページの山里の記憶コーナーに「八幡様のわらじ」をアップした。
秩父には300を越えるお祭りがあると言われている。その中でも奇祭と呼ばれ、12月の最後を飾る飯田八幡神社例大祭、別名鉄砲祭りが今回のテーマだった。
私は飯田八幡の山一つ隣の集落で生まれて育った。子供の頃からお祭りと言えば鉄砲祭りの事だった。小鹿野の春祭りや秩父の夜祭りは知ってはいたが行った事はなかった。それだけ郷土のお祭りに誇りを持っていたし、春祭りや夜祭りはよそのお祭りだった。
鉄砲祭りは12月15日に開催された。(今は12月第二土日に開催されている)学校が休みになり、子供たちも一日中少ない小遣いを握りしめて遊び回ったものだった。
ズラリと並んだ出店を廻り、焼きイカの匂いや綿菓子のピンク色に誘われ、見世物小屋を覗いたり、田んぼに立てられたパチンコ台に見入ったりしたものだった。
猟師達が誇らしげに猟銃を担いで歩くのを羨望の眼差しで見ていた。猟銃には白い幣が付いていて風にゆれていた。歩きながら空砲を発射する猟師もいて、子供たちは歓声を上げたものだった。最近は猟師も少なくなり、警察の規制も厳しくなったのでずいぶんおとなしい鉄砲祭りになってしまったようだ。
そんな鉄砲祭りには大名行列が欠かせない。その大名行列で履くわらじを米吉さんが作っている。毎年32足のわらじを作り、馬用のわらじも八つ作る。もう60年以上もわらじを作り続けている。これは本当にすごい事だ。
米吉さんは自分の健康を考えて「そろそろ誰かがやってくれればいいんだが…」と言う。
わらじを作れる人は少なく、後継者がいない。これが一番の問題だという。氏子総代が声をかければ何とかなると思うのだが、今のところ大名行列のわらじは米吉さんが作るしかない。
時代と共に形が変わることはよくある。わらじを履いていたはずがいつのまにかぞうりになっていたり、運動靴になっていたりする。それぞれの事情で変わることも仕方ない事だと思う。ただ、こうして作り続けている人の情熱を誰かが継げないものかと思う。
簡単に言うことは出来るけど、無責任な発言で、誰かがと言いながら、自分はその中にいない。お祭りの事は部外者が口にしてはいけない。地域の事情が最優先だ。
子供の頃から見てきた鉄砲祭り、本当に末永く続いて欲しいと願う。