瀬音ホームページの山里の記憶コーナーに「かいぼり」をアップした。かいぼりとは漢字で書くと「掻い掘り」で、川の水を干して魚を捕る遊びのこと。小学四年の時に学校の授業で初めてやったことを描いてみた。
ある7月のことだった。先生がいきなり「今日は天気がいいから、川で授業をしよう」と言い、教室が大歓声に包まれた。写生とか体育とか学校の外で授業することはあったが、川で授業をするというのは初めてだったので大騒ぎになった。
学校から近くの赤平川まで一列で歩き、河原で先生の訓示を聞く。先生が何を言ったか全く覚えていない。多分、誰も聞いていなかっただろう。かいぼりをするからと言われて男子は必死に石を運んだ。二股の川の一方を干し上げるのだ。ガキ大将が中心になって何とか堤防を築き、川の水が減ってくるとみんなが興奮した。先生の合図で川に飛び込み、魚捕りに夢中になった。
夢中になっている足元を巨大な魚の影が走り、大騒ぎになる。ガキ大将が追いかけ回してやっと捕まえたのが二十センチはあろうかというヤマメだった。この時に初めてヤマメを見た。
課外授業の一環での自然学習。先生の狙いは成功したようだ。ヤマメというこんな大きくて綺麗な魚がこの川にいるんだということを知った初めての経験は未だに色褪せない。
先生の粋な配慮で実現した川遊びだと思っていたが、こうして大人になって思い返してみると大切な経験だったと気がつく。みんなで協力して川をせき止め、魚捕りをする。授業の一環で地元の川に生きている魚を知る。豊かな自然の恩恵を自分の手で体験する。素晴らしい授業だったと思う。
今ではとても望むことが出来ない自由が当時の学校にはあった。先生も教室の授業だけでは教育は成り立たないと思っていたように思う。勉強だけではなく、体験すること、体で覚えることが必要だった。身を以て経験するから危険な事も分かるし、先生の言うことも聞くようになる。
先生は怒ると平気で叩くし、それが当たり前だった。生徒が悪いことをすれば、しっかり諭して謝らせた。熱意も愛情もあったように思う。天気がいいから川に行こうなどという教育が出来るような自由もあった。今から思うと別世界の話のようで懐かしい。自然に囲まれて野山を駆け回った少年時代。学校へ行くのも楽しかった。