ホームページの山里の記憶コーナーに「麦踏み」をアップした。子供の頃、真冬の寒い時にやる麦踏みは子供の仕事と言われていて、寒い山の畑で一日麦を踏むだけという辛い仕事だった。
足の幅だけしか進めないという、子供にとっては地獄のような麦踏み。畑はとてつもなく広く感じ、永遠に終わらないんじゃないかと思える作業だった。
今から思えば、その必要性はよくわかる。そのおかげで大麦や小麦が収穫でき、食べることができた訳だから、恨む筋合いではない。しかし、遊び盛りの子供にとって、一日中畑に縛り付けられる過酷な作業だった。踏み跡を見ればちゃんとやってるかどうか一目でわかるし、手の抜きようがなかった。それでも、終えた時の達成感は子供ながら充実したものがあった。
この麦踏みの体験で実感したことがある。どんな仕事でも一つ一つやって行けば必ず終わる、という事だった。どんなに広く見えている畑でも一列一列踏んで行けば必ず終わりが来るという確信が作れた事だった。後年、とてつもなく大きな仕事に向かい合った時に「なあに、あの麦踏みに比べれば・・」と思えたのもこの経験があったからだ。自分の中に自信を持つ事ができた。
生活の為に、食べる為にやらざるを得なかった麦踏みだが、多くのものを与えてくれた。長い長い一日、麦を踏みながら色々なことを考えていたように思う。寒くて寒くて辛い作業だったけれど、忍耐という大切なことを教えてくれた。やり終えた時の達成感も自分だけのものだった。
どんな事にも無駄なことはない。今までやった事が全部自分になっている。今更ながらそう思う。