ホームページの山里の記憶コーナーに「栃もち」をアップした。この取材を通じて感じたのは栃もちの取材は本当に難しいという事だった。栃もち作りは本当にいろいろな作り方がある。名人と言われる人は細かいこだわりを持っていて、それぞれの味に自信を持っている。手前味噌ならぬ手前栃もちというところだ。
エミ子さんにいただいた栃もちを正月の間ずっと食べていた。焼いても旨いし、煮ても旨いのでじっくり味わった。柔らかくつるりとした喉ごしにはいささかのざらつきもない。苦くないのに栃の香りが豊かでじつに旨い栃もちだ。
取材している時から感じていた事だが、どうしてこの味になるのかがわからない。毎回少しずつ違う味になるというが、安定してこの味なのだからすごい。
灰の良し悪しが味になるという。良い木を燃した灰が良い灰になるという。良い灰が効きがいいという。話としてはわかるのだが、実際に何が作用してそうなるのかさっぱりわからない。経験則としか言いようがないのだが、そのまま書いて取材が終わってしまうのが歯がゆい。そのくらい今までの栃もちの味と違うのだ。どうしてこの味になるのかが知りたい。
それにしても、あの苦い木の実を食べようとした昔の人々の熱意はすごい。執念と言えるその歴史上にどれだけの人の工夫が重なっていることか。そして、その結果こんな素晴らしい味に辿り着いたという事実。つくづく人間はすごいなあと思う。
正月早々素晴らしい味に舌鼓を打ち、味の歴史を思う。じつに豊かな時間を過ごすことが出来た。エミ子さんの栃もちに感謝。