5月15日、東秩父村・萩平に竹縄の取材に行った。取材したのは若林利明さん(75歳)だった。この日は、萩平に伝わる獅子舞(村指定無形民俗文化財)の練習が公民館で行われる日で、関係者が集まるからという事で伺っただった。
獅子舞練習の始まる一時間前に伺い、若林さんや梅澤邦男さん(64歳)の話を聞いた。
竹縄は昔からこの地区の農閑期に作られていた。萩平・皆谷の多くの家が竹縄作りを副業にしていた。明治27年ころ、朝日根の大工・飯野邦之助が画期的な縄より機を発明し、一気に製品の品質が向上した。強靱で柔らかく、水に強い竹縄は軍需品としても需要があり、また様々な場面で使われた。ナイロン製のロープが出来るまでは最強のロープだった。
話には聞いたことがあったのだが、実際にその製造技術が伝承されているとは思わなかった。昭和40年代には姿を消したと思っていたので、本当に嬉しかった。
現物を見たり、その作り方を実演してもらい、新しい発見ばかりの取材だった。それにしても、この竹縄作りがこの萩平・皆谷地区でのみ行われていたのは何故なのか…、その疑問は解明されなかった。他の地区ではまったく竹縄の話はない。これほど長い期間作られて、需要があったにも係わらず、他の地区では作られなかった訳は何なのかを知りたい。
若林さんは指導者として毎年11月に地元の中学生に竹縄作りの指導をしている。この技術を後世に残すことを目的にしているが、指導者の高齢化もあり、今後の事はわからない。
それにしても出来上がった竹縄の柔らかくてつややかで強靱なこと。工芸品と言ってもよいような竹縄は他の用途もありそうな輝きをもっていた。