8月14日、両神・滝前の山中正彦さん(57歳)を訪ね、盆棚の取材をした。盆棚とはお盆の時期に仏壇と別にご先祖様の棚を作り祀るもの。そのしきたりは宗派や家例によって変わり、千差万別の棚があると言われている。
この忙しい時期にしかないものなので、目にすることがなかった。一度本格的な盆棚を見たいと思っていて、お願いしたところ快く引き受けて頂き取材が実現した。忙しい時期にありがたいことだった。
山中家の盆棚は曹洞宗の飾り方を手本に、家例で昔から行われていた飾り物を加えている。棚はヒバで作った組み立て式のもの。棚は二段で上には大きな芭蕉の葉を敷く。柱には竹の新子を縛って飾り、竹の葉には五色の色紙が飾られる。棚裾は竹の葉を縄から下げて裾隠しとする。これは桧木の葉を使うこともある。棚上はホオズキをたくさん吊す。盆棚の周囲には卒塔婆、盆提灯、盆花が並び、家名の提灯が天井から下がる。
盆棚の上の飾り物、供え物は曹洞宗の決まりに沿ったものが並ぶ。
盆棚がこれほど立派なものだとは思わなかったので新鮮な驚きだった。呼び名も形も各地方によって、家によって違うものと知ると、中途半端に取り上げることは出来ないと気が付いた。山中さんも「俺はまだ57だし、山里の記憶で取り上げてもらう歳じゃないんで…」と遠慮するので、今回は取材だけとした。もう少し色々な例を調べて、自分なりに意見をもたなければ軽々しく取り上げられない対象だと思った。従って「盆棚」は山里の記憶の作品にはならない。取材をしてみてからこういう事もある。
山中さんは秩父の民具、特に山で使う民具に精通している人だ。オヒョウという木の皮を加工してスカリを編んでいる。簡単に書いたがこれは大変なことだ。おそらく誰にも出来ないことを平然とやっている。そのスカリの見事なこと。本当に素晴らしい。鉈のサヤをヤマザクラの皮で巻く。使う毎に艶が出てその人の歴史になる。山中さんはそれも自分で作る。折りたたみ式の鋸を自作する。何でも自分で作る原点は、なんと木枯らし紋次郎にあったという。中学時代に見たこのドラマのわらじやぞうりに興味を持ち、自分で作り始めた。高校の時にはみのを自作したという。そんな話が面白く時間を忘れた。
今は「おがの紙漉き伝承倶楽部」の会長をして、紙漉きの伝統を今に伝えている。森林インストラクターとしても活躍しており、民族研究家でもある。自分で実践する活動家だ。
奥さんが様々な料理をお茶請けにと出してくれた。これがみんなじつに旨かった。紫蘇ジュース、こんにゃくの油炒め、キュウリのサラダ、ヤマメの唐揚げ(これは山中さんが目の前の川で釣ったもの)、自作の梅干し、川海苔で食べるそうめん……山の味を堪能した。
話が楽しく、料理が美味しく、時間を忘れた。山中さんのような人がいる事は秩父の財産だと思う。これからの活躍を大いに期待したい。